2017年のこと。
つぶれそうな・つぶれた旅館を民泊施設にリノベーションするプロジェクトに参加した。

房総半島 千葉館山の自然スケールの話を聞いて、こういう名前でなければいけないと考えた。
利用する人にとって、「はじめて行く場所」であるかもしれないが、
同時に心や身体のなにかにとってはそこが「帰る場所」と気付かされるだろう。
なにか訳が分からぬまま過ごすかもしれない自然に囲まれた自炊施設。
そこで自分にとってのニュートラルを改めて知ればいいのだと思う。
話は変わるが、
最近、駅近のデパートや百貨店でテナントの空室が目立つようになってきている。
苦肉の策として、そこを勉強カフェのような自習ができる場所にリノベーションして危機の打開を図ろうとされている。
個人的にそれらを興味深く眺めているのだけれども、設備としては決定的に足りない考え方があると気づいた。
コロナは早晩、ワクチン接種によって数は落ち着いてくるだろう。
しかし、その変異種がやっかい。
どの時代においても、その変異種のようなものが「いつなんどきもの感染リスク」を意識させるものとして、人々を恐怖の呪縛から解き放たせない空間設計の制約条件として君臨し続けるのではないか。
そうなると復元よりも進化のカタチを考えていくほうが健全だ。